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茶摘み

yuenono8787


 ゴールデンウィークに奈良の山添村で茶摘みと製茶の体験をしてまいりました。

とは申しましても、何が起こるのかもよくわからず、自然にふれることを楽しみに出かけました。

 無農薬、無施肥の自然栽培、手摘み専用の茶園です。機械で茶摘みした茶の木と違い、背も高く、伸び伸びと育っているのがよくわかります。

 その日は晴天にめぐまれ、心地よい春の風を感じ、鶯の声を聞きながらの茶摘みでした。一芯一葉の葉のみを摘む。茶の葉の一番先の若い葉と数日後には葉になる芯の部分のみを使ったお茶が、希少なお茶になることは私にも想像できました。指先のやわらかい葉の感触を楽しみながら無心に手折ります。

 次の行程では、茶葉を風通しの良いところに置き萎凋(水分を抜くこと)を促します。その萎凋の具合によって、緑茶かウーロン茶か紅茶になることを初めて知りました。

 さらに、日本のお茶の大半は、茶葉を高温で蒸すことで発酵(酸化)を止めるのですが、ここで体験したのは、日本の茶生産に占める割合がわずか0.0?%しかない釜で炒って発酵を止める釜炒り茶でした。本当に驚きの連続です。薪をくべて火を熾し、釜の中の茶葉を手で攪拌させます。その折、変わりゆくお茶の香りと手に触れる感覚を楽しみました。その後、柔捻(水分を均等するために揉むこと)そして、また釜の温度を下げての乾燥。いくつかの行程を経て、ようやく萎凋の具合が違う緑茶と微発酵茶ができあがりました。

 できたてのお茶を使ってのお煎茶席は、窓が開け放たれ、5月の風が爽やかに吹き抜け、燕までが飛び込んできました。このような自然の中で淹れられたお茶を頂くことの仕合せをかみしめました。摘んだ折の茶葉の苦みはなく、淡いお味でしたが、二煎目は深みを増したように思いました。できあがったもう一種類のお茶も頂き、萎凋の微妙な加減の差が、お味にこうも影響するものなのかと、改めて感じ入りました。

 何も知らずに茶摘みに参加させていただきましたが、そのお茶がどれだけ贅沢な工程で作られたかを後から知ることとなりました。また、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、五感すべてであるがままの自然を味わいつくした一日でもありました。






 
 
 

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