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錦繍の桂離宮を訪ねて

yuenono8787

 花が咲けば公家たちはそこに集まって一献傾け、池には舟を出して舟遊びをする「みやび」な離宮を想像しながら、錦繍の桂離宮を訪れました。

 いざ、訪れてみますと、桂離宮は「端正」という言葉が私的にはしっくりくるように感じました。遊宴の地に公家たちの数寄の精神を見るような思いがしたのです。言い換えるのならば、一部の隙もないほど、すべてに心遣いが行き届いているとでも言いましょうか。全体を俯瞰して考えても、細部を見ても、細かい配慮が伝わってきます。私が一つ二つ心に残ったことを書くのさえ、おこがましく感じるほど、すべてが美しく、品があり、調和がとれていました。

 一つだけ書くとしますと、全体が端正に整っているのにもかかわらず、突然現れるモダンな意匠でしょうか。茶室に白と藍で染めた紙を交互に張った市松模様の襖。舶来のチェック柄のビロード地と金箔を斜めに配した意匠。どれも突然に現れ、なぜ?と思わせるのですが、心憎いばかりに「和」にとけこんでいるのです。昨今の生活様式の変化に「和の伝統文化」が合わないのではないかと危惧する時があるのですが、桂離宮の和モダンを見ていると、モダンの中の「和」も空間のスパイスになり、とけこんでいくのではないかと思えました。

 ところで、桂離宮に行く前にリサーチしたところ、桂離宮を造営されたのは、なんと修学院離宮を作られた後水尾院(山村御流、圓照寺ご開山様の父君)の叔父にあたる八条宮初代智仁親王でした。そして、後水尾院が桂離宮を三度も訪ねられていたことも知りました。数回前のブログにも書きましたが、後水尾院は朝廷と幕府の力関係が明らかに幕府に傾いた時の天皇でいらっしゃいます。後水尾天皇は徳川幕府が築城した二条城にも行かれています。絢爛豪華な将軍の御殿、そして、ダイナミックな庭園……。後水尾天皇は桂離宮を訪ねられて何を思われたのか。そんなことにも思いを馳せました。

 すっかり話が横道にそれてしまいましたが、来年は修学院離宮を訪れてみたいと思っています。いつの季節がよろしいでしょうか。


 
 
 

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