小田原と聞いた時、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。
小田原城、蒲鉾…。私の小田原のイメージはかくも薄いものでした。
そもそもの始まりは、昨年の秋、京都にある山縣有朋の別荘、無鄰菴を訪れたことでした。(昨年11月14日のブログに書きました)小田原にも山縣有朋の別荘があると聞いて、行ってみたいと思ったのです。
小田原は気候温暖で、前に相模湾を臨む風光明媚な土地柄です。明治中期から、後北条氏によって造営された小田原城内に別荘を構えることが一種のステータスとなり、近代日本の礎を築いた政治家や軍人,文化人に愛され、日本屈指の大別荘地となったのです。
まず、箱根登山鉄道の箱根板橋駅で下車。向かったのは、「電力王」と称され、実業界で活躍する一方、茶道に造詣の深かった松永耳庵の松永記念館です。益田鈍翁や原三渓とともに、近代三茶人の一人です。老欅荘、無住庵などのお茶室が見学でき、茶道を嗜む方には見所のある邸園です。お庭には、杜鵑(ホトトギス)と石蕗(ツワブキ)の花が真っ盛り、鎌倉時代や室町時代の石造物も点在し、風情のあるたたずまいでした。
次に、訪れたのはお目当ての山縣有朋の「古希庵」。相模湾と箱根山を借景に築造されたという「古希庵」のスケールは半端ではありません。現在は保険会社の施設となっていますが、近代日本庭園の傑作として当時の面影を残しています。山縣有朋自身が本邦初の自然主義的和風庭園として築造したとされ、広大な敷地内の高低さを利用して谷水を巡らせ、樹木も50種類ほどの常緑樹や落葉樹から成り、下草には馴染み深い草花が植えられています。このような場所で四季折々の草花を手折って生けられたらと思わずにはいられませんでした。京都の「無鄰菴」のように整備はされてはいませんが、往時が偲ばれ、山縣有朋の庭園への思い入れを感じることができました。
「古希庵」を後にして、「虎に翼」で一躍有名になった三淵嘉子の三淵邸「甘柑荘」の横を通り、黒田長成の旧別邸「清閑亭」へ。その他、小田原文学館の白秋童謡館のお庭も季節の花を楽しむことができ、気持ちの良い日本庭園でした。小田原の邸園は思いの外奥深いです。また、思った以上に数も多く、一回では回りきることはできませんでした。
邸園巡りの他にも、黄檗宗(禅宗)の寺、長興山紹太寺では、京都宇治の黄檗山萬福寺と同様、普茶料理を頂くことができます。春日局と小田原稲葉氏の菩提寺でもあり、天然記念物の「長興山のしだれ桜」が満開になる頃、多くの花見客で賑わうようです。
最後に「ういろう」の意外なお話。「ういろう」と言えば、お菓子の「ういろう」が思い浮かぶと思いますが、なんと、小田原の外郎(ういろう)家が創作したのが始まりだそうです。そもそも外郎家は「透頂香」(とうちんこう)という妙薬を製造販売する家だったそうです。外郎家では朝廷に仕えていた折、外国使節の接待に供するために自らお菓子を考案しました。その薬も、お菓子も、外郎家のものであることから「ういろう」と呼ばれていたそうです。後に小田原を平定した北条早雲に招かれ、小田原に居を構えました。現在小田原の八ツ棟造りの店舗では、お薬を薬剤師さんが販売する場所と、お菓子を販売する場所が分かれています。今回、私は黒糖の「ういろう」を購入して頂いてみましたが、名古屋の「ういろう」と比べて食感は、よりもっちりとしていて濃厚なお味でした。その他にも、外郎家は祇園祭の蟷螂山(とうろうやま)や、歌舞伎の「外郎売」とも関係があります。ご興味のある方は、「小田原・ういろう」でぜひ検索してみてください。
小田原は新横浜から新幹線でたった14分です。文化の香り高い場所がこのように近いところにあったとは驚き以外のなにものでもありませんでした。次回は大磯あたりの邸園巡りをしたいと思っております。

松永記念館


松永記念館

古希庵

古希庵

小田原文学館「白秋童謡館」

豊臣秀吉の一夜城跡地

街並み レトロなカフェ

街並み

ういろう
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